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【日月神示】鳴門の仕組
2012-02-07 Tue 12:22
鳴門の「意味」が分かりましたので、今度は鳴門の「仕組」に掛かります。

まず、日月神示を読んだ方なら分かると思いますが、天明氏の年齢が記されている記述があります。
あれ?徳仁様は?(・ω・)?とか言わないw

以下の記述がそれです。

「黄金の巻」第十五帖
人から見てあれならばと云ふやうになれば、この方の光出るぢゃ。
行出来ねばお出直し、お出直し多いなあ。独断役には立たんぞ。
イワトびらきの九分九厘でひっくり返り、又九分九厘でひっくり返る。
天明九十六才七ヵ月、ひらく。
かのととり。
一二十


「天明九十六才七ヵ月、ひらく。」

これは文字通り天明氏の事なのですが、これを読み違えるとサッパリ意味が分からなくなります(´・ω・`)
まず、岡本天明という人をwikipediaで調べてみます。

以下wikipediaより引用

岡本 天明(おかもと てんめい、1897年(明治30年)12月4日 - 1963年(昭和38年)4月7日)は画家、神道家、また、神典研究家である。岡山県倉敷市玉島出身。本名は信之、天明は「雅号」である。信之は幼少の頃から、他人には見えないものが見えたり(霊視能力)、聞こえたり(霊聴能力)と霊能力を持っている子供だったという(岡本三典『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』)(参)。また、絵が得意で17歳の頃に神戸三宮で絵の個展を開き、新聞に「天才少年画家現る」と称賛されたという。その後、上京し明治大学に学ぶ。紆余曲折を経て大本教と出会ったのは1920年(大正9年)で天明が22歳の時だった。1944年(昭和19年)に千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)の麻賀多神社の末社である天之日津久神社を参拝する。その直後、同神社の社務所で大本系の関連啓示となる『日月神示』(別名:『ひふみ神示』、『一二三神示』)を自動書記する。 この自動書記現象は約17年間にわたって続き後に全39巻(本巻38巻、補巻1巻)にまとめられた。なお書かれた文体は漢数字とカナ文字と記号などからなり、書記した天明自身、当初はまったく読めなかったといわれる。その後、仲間の神典研究家や霊能者の協力のもと少しずつ解読が進み天明亡き後も妻の 岡本三典の研究と努力で、一部を除きかなりの巻が解読されたと言われている。一方では日月神示の読み方や解読は8通り有るといわれ、その内の1つ、2つに成功したとの認識が関係者の間では一般的である。


岡本天明氏は1897年12月4日に生まれた事が分かります。
では、天明氏の誕生日に96歳7ヵ月を足してみましょう…

すると、1994年7月4日になります。

この年に何かひらいたんでしょうか?私には分かりませんでした(´・ω・`)
ってか、目に見えないモノがひらいてりしてw



いやいや…ヾ(;´▽`A``



もう一度wikiより引用した文をよくよくご覧になってみて下さい。



「本名は信之、天明は「雅号」である。」

ココがミソです。\_(`・ω・)ハイ、ココネ、ココ!



岡本信之氏が生まれた日とは別に、岡本天明氏が生まれた日があるという事です。

日月神示には「天明九十六才七ヵ月」と書かれていますので、天明(天命)を授かったその日から「96年7ヶ月」と解釈するのではないか。

では天明(天命)を授かったのはいつなのでしょう?(・ω・)



岡本三典著【日月神示はなぜ岡本天明に降りたか】50~51Pより引用
1920年に「岡本天明」と名乗り始めている。



月日までは分かりませんでしたが、「1920年」に天明(天命)を授かった事が分かりました。
それではこの1920年の誕生日に96才を足してみましょう。


1920年 + 96才 = 2016年


という事は、


2016年〇月〇日、ひらく。

という事になります。




さて、ここからが本題です。

同じ「黄金の巻」に、年齢だけが記され名前のない記述があったりします。

以下の記述がそれです。


「黄金の巻」第五十四帖
目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入られるぞ。
心せよ。
雨、風、岩、いよいよ荒れの時節ぢゃ。
世界に何とも云はれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。
食ふべきものでない悪食うて生きねばならん時来るぞ。
悪を消化する胃袋、早うせねば間に合はん。
梅干大切心の。

五十二才二の世の始。
五十六才七ヶ月 みろくの世。
十二月七日一二十


これが誰の年齢なのか?
同じ黄金の巻の15帖には「天明九十六才七ヵ月」と書いてありましたので、
何も考えずに読めば、天明氏の年齢に読めてしまいます。
が、実際に計算してみると、とっくに「みろくの世」になってしまっている事になります('A`)
さすがにそれは間違いだろうと気付きますが…

では、一体誰の年齢なのか(・ω・)?

日月神示の中には天明氏以外の名前(皇太子徳仁親王)が隠されていた事が既に分かっています。
この方の年齢に合わせてみるとどうでしょう?すると驚くべき一致が…(*´Д`*)ハァハァ

まず、皇太子徳仁様をwikipediaで調べてみます。

以下wikipediaより引用

皇太子徳仁親王(こうたいし なるひとしんのう、1960年2月23日 - )は、日本の皇族。今上天皇の第一皇子。母は皇后美智子。御称号は浩宮(ひろのみや)。身位は皇太子、親王。皇室典範に定める敬称は殿下。お印は梓(あずさ)。勲等は大勲位。学位は人文科学修士(学習院大学・1988年)。その他、名誉学位・称号として名誉法学博士(ケンブリッジ大学)などがある。皇位継承順位第1位。

皇太子徳仁様は1960年2月23日にお生まれになった事が分かります。

それでは徳仁様の御年齢を「五十二才二の世の始。」「五十六才七ヶ月 みろくの世。」に当てはめてみましょう。

徳仁様は今年(2012年)52才になられますので、

五十二才二の世の始 = 2012年二の世の始

となり、

更に「56才7ヵ月 みろくの世」というのは、

五十六才七ヶ月 みろくの世 = 2016年9月23日 みろくの世

となります。

みろくの世が始まるのは2016年という事になります。

「天明九十六才七ヵ月」というのが月日こそ分からないものの、2016年という事が分かっています。


同じ年になるんですねぇ(;゚д゚)ゴクリ


岡本信之氏が「岡本天明」と名乗り始めたのは22歳の時であり、日月神示の書き出しは「富士(二二)は晴れたり日本晴れ」です。
そして皇太子徳仁様の誕生された日は2月23日で、この日は富士山の日です。これらはきっと偶然ではないでしょう(・艸・)


つまり、


「五十六才七ヶ月みろくの世」「天明九十六才七ヵ月、ひらく」は、


どちらも同じ事を言っている可能性が高い。


ではなぜ同じ事を2度も言っているのでしょうか? さらにこれらを合わせて読んでみたいと思います。

五十六才七ヵ月 = 天明九十六才七ヵ月 = 2016年9月23日となりますから、違うのは「みろくの世」と「ひらく」の表現だけです。
「ひらく」といえば「岩戸」の事でしょうから、

2016年9月23日 岩戸がひらいて みろくの世になる。

まぁ大体このような意味になるのではないでしょうか(・ω・)


2016年9月23日に岩戸がひらいてミロクの世になる事が分かりました。


では、

「五十二才二の世の始」とは何なのか?

恐らく、この年(2012年)からミロクの世に至るまでの期間が、所謂「大峠」となるのではないでしょうか。
この部分は長くなりそうなので、後で別に書きたいと思います。


鳴門の「仕組」とは、時節において、皇太子徳仁様の御年齢が深く関わっているという事です。
まだまだ謎だらけですが、一応これで鳴門の「仕組」は終わりにしたいと思います。

次は「富士の仕組」と「鳴門の仕組」を合わせて、「富士と鳴門の仕組」を完成させてみたいと思います。

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