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伯岐富士
2012-08-31 Fri 20:47
最近バタバタでなかなか書けませんが('A`)

えぇと。今回は前回の続きなのですが、
その前に、前回の記事をお読み頂いた方から「神の米」について、
メールを頂きましたので、まずそれを紹介しておきたいと思います。

前回の記事で日月神示のこの記述↓を引っ張り出してきました。

大庭の富士を探して見よ
神の米が出て来るから
それを大切にせよ。


この中の「神の米」なのですが、
頂いたメールによりますと、その米というのは、

「イセヒカリ」というお米の事じゃないの(・ω・)?

若干ニュアンスは違いますがそのような内容でしたw

で、私はこのイセヒカリというお米を恥ずかしながら初めて聞きました。
早速インターネッツで検索してみると沢山ヒットするんですね。
とりあえずコチラから一部引用させて頂きます<(__)>

まずはこの部分から↓

登録品種でも、奨励品種でもない為、公の市場に流通する事はなく、原種の保存も種籾の生産も公的機関は一切関与しません。農協も正規には扱わない、公的には作れない、売れない、買えない米なのです。


という事で「イセヒカリ」というお米は、
一般的に売っていないお米のようですので・・・
お米の品種など気にした事もない私が知るはずもない。
という事が判明し、ちょっと安心しましたヾ(;´▽`A``

で、これがどういうお米なのかと言いますと、これがなかなか興味深い。

イセヒカリは、平成元年に伊勢神宮神田で発見された新種の米です。台風ですべてが薙ぎ倒されたコシヒカリの田に たった二株立ち残っていた黄金色に輝く稲を育ててみると、 驚くほど坊害虫や風雨に強く、 収穫が多くて味も抜群に新しい米とわかり、 神宮より「イセヒカリ」と名付けられました。


元記事を全文引っ張ってくると、とてつもなく長いのでこのくらいにしておきますが、読めば読むほど不思議なお米ですので、興味のある方はコチラから全文お読みになってみて下さい。

問題は、このような素晴らしいお米がなぜ、こんな扱い↓なのか。

登録品種でも、奨励品種でもない為、公の市場に流通する事はなく、原種の保存も種籾の生産も公的機関は一切関与しません。農協も正規には扱わない、公的には作れない、売れない、買えない米なのです。


何か事情があるのでしょうか、よく分かりませんが(==)

ところで、これが日月神示の言う「神の米」だとすると、
この米が出てきた神田というのが「大庭の富士」という事になるのですが、
私は伊勢とかあの辺の地理に詳しくないので分かりませんでした('A`)
私は、なんてったってアイドル出雲人ですから。(ネタが古いとか言わない

まぁ、いずれにしましても、カイの御用にもつながりそうなこのお米、
気付いた方達だけでも大切にしていきませう。(・ω・)
ウチには田んぼがないので、現状どうする事もできませんが・・・('A`)


では、ここから前回の続きとなります。

前回は、大山という山についてちょこっと書きましたが、
今回もこの大山について書きたいと思います。

まず、前回も書きましたが、
神素盞嗚大神はこの「大山」で八岐大蛇を退治するのですね。で、神素盞嗚大神の奥さんというのが櫛名田比売という女神様です。
この櫛名田比売の父は足名椎命、母は手名椎命

そして足名椎命、手名椎命の父というのが・・・

大山津見神
http://ja.wikipedia.org/wiki/オオヤマツミ

ここでも「大山」という言葉が出てくるのですね。

ここでちょっと話しが明後日のほうへいっちゃいそうに見えますが、
日本最大の前方後円墳と言えば・・・

仁徳天皇陵 というのがありますが、

これ、大仙陵古墳(だいせんりょうこふん、大仙古墳、大山古墳)と言うんですね。
これもまた「大山」とつながるわけです(==)

では、仁徳天皇とは何者なのか。

仁徳天皇(にんとくてんのう、神功皇后摂政57年(257年) - 仁徳天皇87年1月16日(399年2月7日))は、日本の第16代天皇(在位:仁徳天皇元年1月3日(313年2月14日) - 同87年1月16日(399年2月7日))。
古事記の干支崩年に従えば、応神天皇の崩御が西暦394年、仁徳天皇の崩御が西暦427年となり、その間が在位期間となる。名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)・難波天皇(『万葉集』)。



大鷦鷯天皇おほざさきのすめらみこと

コチラのかたが詳しく書かれておられますが↓
佐々木・鷦鷯についての雑考

だから何(・ω・)?って感じなのですが、
この大鷦鷯天皇の「鷦鷯」は「ササキ」と読み、
この姓を持つ人達は存在します。以下ちょこっと引用させて頂きます<(__)>

ある調査によると、「島根県美保関町(7軒)、松江市西川津町など全国に45軒」があるとされ、滋賀県北部にも少し分布があることが分かった。


また、この「鷦鷯」から「佐々木」へと変えた人達も沢山いるので正確には全国にどのくらいあるのか分かりませんが。

要するに、大鷦鷯天皇というのは、
鷦鷯の王だから大鷦鷯天皇ではないんでしょうか。

そう考えますと、この姓が集中している場所がとても重要になります。
では「島根県美保関町」「松江市西川津町」どこなのか地図で見てみませう。

chizu03.jpg

やはりここら辺になるのですよ。
そしてやはりこの「大山」につながってくるという謎。('A`)
んまぁ、謎ってか、前回書きました王仁三郎氏の歌碑を読めば、もしかして?みたいな答えは出ますが。

daisen000.jpg

ところで。(お?

「仁徳」をグレンと引っくり返すと「徳仁」になるわけですが、

徳仁親王は今年2012年5月30日・・・
神奈川県伊勢原市にある「大山」に登られたのをご存知でしょうか。

コチラからの転載↓となります<(__)>

皇太子さまが、大山に登られました

平成24年5月30日(水曜日)に、
皇太子さまが大山で登山を楽しまれました。

皇太子さまは、ご自分のカメラで風景の写真を撮りながら山を登り、山頂で眺望を楽しみながら昼食をとり、山を日向方面に下りられました。

当日は、山頂で記者団の前で立ち止まり、「都内や葉山からも大山は見えていたので、以前から登りたかった。」と述べ、「大山の 歴史と自然を堪能した1日でした。」と感想を話されました。


「以前から登りたかった。」とコメントにもありますように、
初めてこの山に登山しておられるのです。


要するに、私が言いたい事は、

神奈川(惟神)・伊勢原(伊勢)・大山(出雲)

このように読めるわけで、徳仁親王は登山目的ではなく、
何か違う目的で登られたのではないか。という事です(==)

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