永 き 代 の  全 き 神 の 字  美 し く  追 思 の 御 垣  玉 の 良 き か な
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【日月神示】ハルマゲドン
2012-02-29 Wed 15:58
日月神示の中には「ハルマゲドン」の記述があります。

「磐戸の巻」第三帖
びっくりばこいよいよとなりたぞ。
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマケドンになるのざぞ、
早う改心せんとハルマケドンの大峠こせんことになるぞ。


とりあえず「ハルマゲドン」をwikipediaで調べてみると…


日本語で一言で言うと、世界最終戦争ってところでしょうか。


でも、日月神示では、

「春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマケドンになる」
という事だそうです。

言葉通りだと、春→夏→秋→冬→春マゲドンって事でしょうか。
これって…思くそ時節じゃん(;゚д゚)ゴクリ…
ではそれはいつの事でしょう? 時節においての四季が分かれば答えが出るのではないでしょうか。

実は富士の仕組でできた時節表を見た時に、真っ先に「これは(; ゚д゚)!!」と思った事がありました…

こちらの記述です。

「青葉の卷」第六帖
八月ぐらぐら。


「富士の巻」第六帖
八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いて呉れよ、
いよいよ世が迫りて来ると、やり直し出来んと申してあろがな。


a16.png

2011年が「〇九十の数」では「8」になるんですね、まさに「八月ぐらぐら」(・艸・)
この「〇九十の数」というのは、日月神示に出てくる「年」「月」「日」を表しているのではないでしょうか。そうすると、これで「四季」が現れてくるハズです。

つまり「春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマケドン」の時期が見えてくるハズです。旧暦の四季は「1、2、3月が春」「4、5、6月が夏」「7、8、9月が秋」「10、11、12月が冬」ですので…

a17.png

こうなります。「〇九十」の数では10月が2つになり、また、その後が9月その次が8月…と時を遡ってしまいおかしな事になってしまいます(==)
これでは「春マケ→夏マケ→秋マケ→冬マケ→ハルマゲドン」が完成しません。

そこでこの記述です。


「地つ巻」第十六帖
うへに唾きすればその顔に落ちるのざぞ、時節ほど結構なこわいものないぞ、時節来たぞ、あはてずに急いで下されよ。


「地つ巻」第二十五帖
この方とて時節にはかなはんことあるのざぞ。

「岩の巻」第六帖
愈々時節来たのであるから、何と申しても時節にはかなわんから、神示通りになって来るから、心さっぱり洗ひ晴らしてしまふて、持ち物さっぱり洗ひかへしてしまふて、神のみことに生きて呉れよ、みことになるぞ、タマぞ、ミコト結構ぞ。

「青葉の巻」第八帖
時節には従って下されよ、逆らはず、後の立つ様致されよ、後のやり方、神示で知らしてあろがな。



時節には勝てないという事ですので、逆らわずにいきましょう。
というか時節に逆らうと「春マケ→夏マケ→秋マケ→冬マケ→ハルマゲドン」が完成しません(==)

a18.png

で、こうなりました。

分かり易いように「〇九十の数」の横に「月」を入れてみました。
これでハルマゲドンの時期が大体分かるのではないでしょうか。
「タテコワシとタテナホシ」で述べましたが、「白黒まだらな時」の3年間が一番苦しい時という事が分かっています。
が、時節表を見て頂けると分かる通り、「ハルマゲドン」が「春マゲドン」であるとすれば、若干ズレちゃってるんですね。

以下の記述をご覧下さい。


「キの巻」第六帖
桜咲く所、桜と共に花咲くぞ、夏マケ、秋マケ、となったら冬マケで泣きあげてはならんぞ、戦すんでからが愈々のイクサぞ、褌しめよ、役員も一度は青なるのざぞ、土もぐるのざぞ、九、十、気付けて呉れよ。



一番苦しい3年間の後に愈々のイクサがあるという事です…この若干のズレはそういう意味なのでしょう。
そして、気になるのはやはり、2016年ですね。「鳴門の仕組」で既に述べましたが、ミロクの世になるのが2016年です。
時節表ではちょうど2016年から春になるんですよね…ハルマゲドンが「春マゲドン」だとすると、2016年、この年に起こる何かが「ハルマゲドン」と言えるのではないでしょうか。(;゚д゚)ゴクリ

ちなみに現在2012年ですから、時節表では9月にあたり、秋という事になります。
日月神示の中には「秋」と「九月」に関わる記述がたくさん出てきます。

それでは、次は日月神示によく出てくる「旧九月八日」に迫ってみたいと思います。

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【日月神示】旧九月八日
2012-03-02 Fri 16:47
「旧九月八日」、日月神示によく出てくる日付けですね。

まず、日月神示の中から九月八日の記述を引っ張ってきます。


「日月の巻」第十帖
辛酉の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。
九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。

「キの巻」第十四帖
九月八日の仕組近ふなったぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く弥栄へ 戦争つきはつ大道ぞ。

「水の巻」第九帖
旧九月八日とどめぞ。

「松の巻」第三帖
旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心獣ぞ。

「松の巻」第三帖
神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。日本晴れとはその事ざぞ。
旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。

「夜明けの巻」第三帖
心引かれる事残しておくと、詰らん事で詰らん事になるぞ。
もう待たれんことにギリギリになってゐる事判るであろがな。
世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組近付いたぞ。

めでたさの九月八日の九のしぐみ、とけて流れて世界一つぢゃ。


大体こんなところでしょうか。

一体何なのでしょうか?旧9月8日に起きた出来事を調べてみました。


旧暦の9月8日に起こった大きな出来事と言えば…
明治天皇の即位に伴い明治に改元。


結構な日ざが、こわい日…なんだかコレだけで十分納得できそうですw

ちなみに新暦の9月8日に起こった大きな出来事は、聖母マリアの誕生日らしいです (ノ゚ー゚(; ̄□ ̄)ナヌッ?

「ハルマゲドン」で〇九十の数というのは、日月神示に出てくる「年」「月」「日」を表しているのではないか?という事を述べました。
それでは、時節表で9月8日を探してみませう。(・ω・)

a19.png

日月神示を読んでおられる方なら分かると思いますが、旧九月八日とは九九月八日とも読みます。ですので、赤色で記したところが9のつく部分、ココが「九」や「旧」から始まる記述と関わってくる可能性があります。
※分かり易くする為、他の部分はグレースケールにしました。



ところが・・・



日月神示を読んでいると、以下の記述に出くわします。


「日月の巻」第十帖
日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。
九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。
三月三日、五月五日はよき日ぞ。    

「日の出の巻」第四帖
旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、
此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、
神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。
其の時は五六七の世となるのざぞ。



「九、十月八日」は、文字通り九月八日十月八日です。
って…「十月八日」ってなに!? 九月八日って言ってたのにどっちなの(’A`)?

という事でw 九月八日の他に十月八日も調べなくちゃいけなくなってしまったワケですが…w

意外にもコレが簡単に解けちゃうんですね(・艸・)

「鳴門の仕組」で驚くべき一致を見せた「2016年」ですが…

なんと、ココでも驚くことに…


2016年の10月8日は、旧暦の9月8日になるんですよ(;゚∀゚;)!!


旧暦9月8日が新暦10月8日と重なる日って、実はよくある事なんじゃね(´-`)? と思い調べてみたところ、2016年以前は1951年、以後は2035年になるんですね。そう滅多にあるもんじゃないんですよ。
当然ですがこの時節表では2016年しかございませんヾ(;´▽`A``

という事で、なんかね…全部2016年になっちゃうんですね…(;谷)=3

要するに、日月神示が言いたい事は、


2016年の秋の九十 こと なんぢゃ(;゚∀゚;)!?



では次に進みますw
先ほども引用しましたが、以下の記述をもう一度引用します。


「日月の巻」第十帖
日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。
九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。
三月三日、五月五日はよき日ぞ。    

「日の出の巻」第四帖
旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、
此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、
神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。
其の時は五六七の世となるのざぞ。



旧九月八日を調べていくと、十月八日が出てきました、これは先ほど述べた通りですが、ナゼかこれらと必ずセットで「十八日、五月五日、三月三日」が登場してきます。

これらは一体何なのでしょうか。(・ω・)?

「十八日」は、十月八日の事を言っているような気がします。
ってか先日、天皇陛下が手術され、無事成功致しましたが、この手術の日が2月18日だったんですよね…あん時は、なんで18日にするの!?ってヒヤリとしましたがw

「五月五日、三月三日」はどちらも節句の日ですね。これ、一言で言うと「伝統的な年中行事を行う季節の節目」となるようです。

旧暦の9月8日に起こった大きな出来事とは「明治天皇の即位に伴い明治に改元」でした。

どちらも「節目」なんですね。って事は…


2016年の秋に何らかの節目を迎える(・艸・)!?

んじゃあ、2016年に何が起こるの?どうしたらいいの?…って…
それは…日月神示にちゃんと書いてあるので、ご自身で読んで下さいませw



ってなワケで、旧九月八日の意味が分かりました。

では、続けますw

この「三月三日と五月五日」という日は、「節目」の意味で使われていると思われますが、
実は他にもいくつかこの日に関わる記述が出てきます。


「キの巻」第十四帖
三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから更に用意して何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ、心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ、九月八日の仕組近ふなったぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く弥栄へ 戦争つきはつ大道ぞ。

「水の巻」第五帖
江戸の仕組旧五月五日迄に終りて呉れよ。
後はいよいよとなるぞ。

「磐戸の巻」第十六帖
子の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ。
ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。



三月三日から更に厳しくなる〜五月五日から更に更に厳しくなる〜九月八日の仕組近ふなった〜という流れを読めば、九月八日の仕組より前に「三月三日から更に厳しくなる」「五月五日から更に更に厳しくなる」があるように思われます。
「江戸の仕組旧五月五日迄に終りて呉れよ。後はいよいよとなるぞ。」これも「後はいよいよとなる」九月八日の仕組の事を言っているのではないでしょうか。

そしてコレ、「ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。」ひつじって…言っちゃってるんですよねw

a20.png

赤で記したところ、この年が「未」ですので、この年の3月3日、5月5日って事でしょうか。〇九十の数ではこの年は「9」です。「9」「九」であり、「旧」とも読みますので、やはりこの年は危険が危なそうです。

でも、厳しくなるって…なんか怖ひ( ̄ー ̄;;

という事で、

2015年3月3日→5月5日→2016年9月8日とどめ。

こんな感じになるのではないでしょうか。

それと、最初に貼った以下の時節表ですが、

a19.png

この赤で記したところも、やはり「9」「九」「旧」と読めますので、これらの年の3月3日・5月5日・9月8日(いずれも旧暦含む)前後は念のため気をつけておいたほうがいいかも知れません。
と言っても、心の準備くらいしかできませんが。(・艸・)

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【日月神示】三十年で世の立替いたすぞ。
2012-04-02 Mon 14:12
ようやくここまで来ましたヾ(;´▽`A``
今回長くなるので記事を2つに分けました。
ですので、さっさと語らせて頂きますw

まず、この記述から。


始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎんぞ、マコトでないぞ、根から出たものではない、枝葉に過ぎん、男から女は生れんぞ、奇数から偶数は生れんと申してあろうが、一つのものの表が男であるぞ、裏が女であるぞ、男から女をつくったと申すのは或る時期に於ける教ぢゃ、岩戸がひらけたのであるから教へではならん、道でなくてはならんと申してあるぞ、道は永遠ぢゃ、〇から出て〇に至るのぢゃ。


この記述で始めの前に〇がある事が分かりました。
そして、マコト(〇九十)の数「〇一二三四五六七八九十」と、
その裏の「十九八七六五四三二一〇」を足して22年間の時節表ができました。

040.png

ここまでは「富士の仕組」で述べた通りなのですが、

以下の記述をご覧下さい。

「春の巻」第一帖
始の始と始が違ふぞ。
皆始めヒからぢゃ。

「夏の巻」第十四帖
始の始と始が違ふぞ。
後になるほどよくなるぞ。
終りの中に始めあるぞ。


「始の始と始が違ふ」とは?
始めは「一」ではなく、「〇」である事に気付きました。
これで最初の「始」は正されたのですが、その又更に「始」があるようです。

つまり、22年間の時節の前にまだ「始」があるのではないか。

それは・・・
この記述が関係してるんじゃないでしょうか。


「三十年で世の立替いたすぞ。」


ってオイオイ。22年じゃなかったのかよ('A`) …などと言ってはいけないw
単純に、30から22を引けば答えは8です。

ですから、単純に、8年足してやれば良い(・∀・)♪

「始」が違うのですから、「始」の前に足せば良いのではないでしょうか。
すると、「始の始と始が違ふ」の中の全ての「始」がこれで正されるのではないでしょうか。では、分かり易いように図で見てみませう。

041.png

こうなりますね。
22年の時節表の前に、8年を足して30年にすると、
「始」は1995年になるんですね。

1995年って・・・

「阪神・淡路大震災」
http://ja.wikipedia.org/wiki/阪神・淡路大震災

「地下鉄サリン事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/地下鉄サリン事件


神戸は「神の戸」ですから、まさに「岩戸」ではないか。
では、その岩戸、開けちゃったのでしょうか?(・ω・)



開けちゃってるんですね(・艸・)



22年の時節表に「8年」を足すという意味。

「八は開くと申してあろうが」

なんてコトでしょうか・・・
マコト(〇九十)の数に習って数を遡って数えると、
当然ですが、この年は「8」になるんですね。

042.png

「八は開く」&「八月ぐらぐら」( ̄ー ̄;

そして、昨年2011年も「八は開く」&「八月ぐらぐら」でした。


1995年 = 大震災 & サリン

2011年 = 大震災 & 放射能


起こっている事が酷似していると思うのは私だけではないハズ(==)



ってか、私は「ハルマゲドン」の記事でマコト(〇九十)の数を無視して四季を作ってしまいましたが、素直にマコト(〇九十)の数に従えば良かったのかも。(;´Д`A ```
という事で、「ハルマゲドン」と続く「旧九月八日」の記事は練り直して再UPする予定です…予定は未定ですが(・艸・)

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【日月神示】マコトのことはトリの年。
2012-04-02 Mon 14:14
さて、22年間の時節表に8年を足して30年間の時節表になりました。
更にマコト(〇九十)の数に習って数を遡ってみました。
ここまでは「三十年で世の立替いたすぞ。」で述べた通りです。

8から始まる事になるんですね…これ、おかしいですね。
マコト(〇九十)の数は「〇一二三四五六七八九十」でなければならない。
という事は、この上に更に「九」と「十」があるのではないか。
また、「八は開く」という意味なのですが、
ここで「鳴門の意味」でも引用しましたこの記述。

「八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ」

そう、つまり、八が開く時には「九」もセットで開くのです。
という事は、やはり「九」がある。

決定的なのは、この記述。

始の始と始が違ふぞ。
後になるほどよくなるぞ。

終りの中に始めあるぞ。

何度も言いますが、マコト(〇九十)の数とは、
「〇一二三四五六七八九十」です。
終わりは「十」ですから、「終りの中に始めあるぞ」というのは、
十から始まるという意味なのではないでしょうか。

とりあえず、分かり易いように、形にしちゃいませうw

050.png

こうなりました・・・

こ、これは・・・( ̄ー ̄;;

「9」が1994年になるんですね・・・

私は「鳴門の仕組」で「天明九十六才七ヵ月、ひらく。」とは2016年の事であると書きました。その理由として【「本名は信之、天明は「雅号」である。」だから、天明(天命)を授かったその日から「96年7ヶ月」と解釈するのではないか。】としていました。


しかし・・・
天明氏、いや信之氏が96歳7ヵ月って、1994年7月4日になるんですね。

という事は、「天明九十六才七ヵ月、ひらく。」とは、
単純に「1994年7月4日ひらく。」という意味で良かったのでしょうか。
つまり、私は深読みし過ぎていた・・・!?


「2016年ひらく。」は間違ってたって事?(・ω・)


いやいや、これね、ほんとね、深い仕組なんですよw


日月神示を読んでおられる方ならウンザリするほど読まされたこの記述。

我がなくてはならん、我があってはならず、よくこの神示よめと申すのぞ。
我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。
我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。
我を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。


「我」われと読む時は「あってはならん」になるのですが、
「我」と読む時は「なくてもならん」となるんですよね。

不思議ですよね・・・

「我」の意味するものとは、何でしょう?


これの事ではないのでしょうか。


「本名は信之、天明は「雅号」である。」


号」である。


雅がなくてはならん、雅があってはならず、よくこの神示よめと申すのぞ。
雅がなくてもならんぞ、雅があってはならんぞ。
雅がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。
雅を張ってはならぬぞ、雅がなくてもならぬぞ、この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。



という事で、1994年も2016年も正しく、
どちらも「ひらく」のではないでしょうか。( -ω-)ウンウン

こういう事↓

雅があってはならず=「信之九十六才七ヵ月、ひらく。」

雅がなくてもならん=「天明九十六才七ヵ月、ひらく。」

051.png


では続けますw

「九」が分かったので、次は「十」です。
「始の始と始が違ふぞ。」という事でしたので・・・
この年、1993年が「始の始の始」という事になります。

そしてこの記述。

「秋の巻」第二十三帖
「マコトのことはトリの年。」


1993年は酉年になります。
この記述はこの年の事を言っているのではないでしょうか。

052.png

さて、1993年が「十」になりましたが。
私、1993年って特に何かあったキヲクがありません(==)

神仕組が発動する始めのこの年、きっと何かあったに違いないw


では、一体何があったのでしょうか・・・


これね、wikiってみたら、

愕然としました。( ̄ー ̄;;;




神仕組発動の引金トリガーを引いた出来事とは・・・



199369

皇太子徳仁親王、小和田雅子のご成婚

ではないのか。


というか、それしかない(・ω・)


徳仁様と雅子様がご一緒になられるという事に、
何かとてつもない意味があるのでしょうか・・・?( ̄ー ̄;;;



そして、わたくし・・・
皇太子妃のお名前の中にある一文字が気になって仕方がないのだが・・・



雅がなくてはならん、雅があってはならず、よくこの神示よめと申すのぞ。
雅がなくてもならんぞ、雅があってはならんぞ。
雅がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。
雅を張ってはならぬぞ、雅がなくてもならぬぞ、この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。




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【日月神示】ハルマゲドン2
2012-04-10 Tue 12:16
なんだか映画のタイトルみたいになってしまいましたが(==)

先日の記事「三十年で世の立替いたすぞ。」の最後のほうで、
「ハルマゲドン」と続く「旧九月八日」の記事は練り直して再UPする予定です。
と書きました。

という事で、今回はその「ハルマゲドン」を再度練り直した記事となりますw

ええと。まず、以前書いた「ハルマゲドン」で最終的に完成したのがこの表↓です。

a18.png

で、これが再度見直す必要があるのではないか?
という事で、じっくりと見直してみた結果・・・




間違ってませんでした(・∀・)♪




それどころか、これでほぼ時節の全貌が見えてくる事が分かりました(・艸・)
では、これから解説していきませう。

まず、「三十年で世の立替いたすぞ。」で1995年はマコト(〇九十)の数が「8」になるので、「八は開く」&「八月ぐらぐら」としました。
つまり、マコト(〇九十)の数が「8」だから「8月」としました。
この表↓の1995年のとこですね。

052.png

これが大きな間違いだったのです。
いや、実際は、半分合ってて、半分間違ってるって感じw

では、この表に「ハルマゲドン」で書いた通りの「12ヵ月の流れ」を加えてみませう。

060.png

こうなりますね。
1995年は「8」なので、「開く」なのですが、この年は「4月」になりました。
んまぁ、だからこの年はマコト(〇九十)の数通り「8月」ではないか?としてしまったのですが。

ところが、以下の記述をご覧ください。

「日の出の巻」第六帖
三、四月に気つけて呉れよ、
どえらい事出来るから何うしても磨いておいて下されよ、
それまでに型しておいて呉れよ。

「キの巻」第四帖
これからは神が化けに化けて心引くことあるから其のつもりでゐて呉れよ、
三、四月気付けて呉れよ。

「雨の巻」第十五帖
今度次の大層が出て来たら愈々ざぞ。
最後の十十目−透答命−ざぞ、今度こそ猶予ならんのざぞ、
キリキリであるから用意なされよ、三四月気付けよ、キきれるぞ。


061.png

断言しましょう。
「三、四月気付けよ」とは「1994年・1995年気付けよ」という意味だったのです。
前にも書きましたが、八が開く時には「九」もセットで開くのです。
「八、九」がセットで開く訳ですから、「三、四月」をセットにして気付けろと言っているのです。
そして更に、あの言葉・・・「五の歳は子の歳ざぞよ。」
時節表を見て下さい。「12ヵ月の流れ」を加える事によって、全ての子の歳が五の歳になるんですね。

では、更に続けます。
以下の記述。

反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう、漸次輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸ひらきぢゃ、低い世界は戒律なくてはならんぞ、人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして御座るぞ、平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷ひの道であるぞ、気つけ下されよ。病むことは神から白紙の巻物をもらったことぢゃ、この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらけるのぢゃ。神からの巻物おろそかにするでないぞ。

「反対の世界と合流する時」というのは、表を見てもらえば分かると思いますが、逆さまに遡っていく数字の事ですね。↓の赤で記したところです。

062.png

この数字はマコト(〇九十)の数なのですが、
青で記した逆さまではない数、これを基準に「12ヵ月の流れ」を振ってやると反対だった数も反対ではなくなります。これが「立体でやらねばならん」という意味なのでしょう。
今現在この時節表が何立体までできているのかは分かりませんが(==)

それでは、ハルマゲドンはいつになるのでしょう。
これは前回同様変更はございませんので、こうなります↓

063.png

他にも「春夏秋冬」あるじゃん。なんでココになるの(・ω・)?


それはなぜか・・・


「八は開くと申してあろうが」という事です。


そして八が開く時は九もセットで開くのです。

では、開くポイントを分かり易く時節表で見てみませう(・ω・)
064.png

開くポイントはこの3カ所です。

この中で、

春に開く「八」は・・・


2016年しか存在しないんです。


もうちょっと続けますw

以下の記述をご覧下さい。

「黄金の巻」第十三帖
三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ。
皆仲よう相談し合って力合せて進め進め。

「黄金の巻」第二十三帖
金の世すみて、キンの世来るぞ。
三年目、五年目、七年目ぢゃ、心得なされよ。

「冬の巻」第十八帖
三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。


なんだかとても嬉しそうな記述です。
これらの記述は間違いなく「タテナホシ」である7年間の事を言っているのでしょう。

更にこの記述。

「夜明けの巻」第一帖
あら楽し、 あなさやけ、  元津御神の 御光の、 輝く御代ぞ 近づけり。
岩戸開けたり 野も山も、 草の片葉も 言止めて、
大御光に 寄り集ふ、 誠の御代ぞ 楽しけれ。
今一苦労 二苦労、 とことん苦労 あるなれど、 楽しき苦労ぞ 目出度けれ。
申、酉すぎて 戌の年、 亥の年、子の年 目出度けれ。
一二三の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。
覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。


この記述も「タテナホシ」の期間の事でしょう。
もう一度時節表をご覧下さい。
この時節表、2024年で終わるのですが、
ちゃんと「秋」で終わっていますね。(*゚∀゚)=3

063.png

では、この秋に何があるのでしょうか?
それはこの記述から分かるのではないでしょうか。


はらひため 千城百国 精治万歳。
三年と半年、半年と三年であるぞ、その間はクラヤミ時代、火をともしてもくらいのであるぞ、あかるい人民にはヤミでも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年ぢゃ、五日と五日ぢゃ、このこと間違へるでないぞ。
手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追ひやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時めぐりきて、我がとれたので、光がさしそめたのぢゃ、岩戸がひらけたのぢゃ。
神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。
世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、この大峠を越してから大いなるタメシがあるぞ、人の心のむつかしさ計り知れん程であるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ。


「三年と半年、半年と三年〜五年と五年〜五日と五日〜」の記述は「タテコワシとタテナホシ」で計17年間だという事を述べました。そして上の記述からも分かる通り、この17年間の後に「大いなるタメシがある」ようです。17年間のタテコワシとタテナホシ後という事は、時節表を見て頂ければ分かりますが、2022年・2023年・2024年頃になります。ここら辺で「大いなるタメシがある」のではないでしょうか。でも、「大いなるタメシ」って何でしょうね。「見事なこと致して見せるぞ」って事なので、もはやここまでくるとおまかせモードなのかも知れませんが(笑...エナイ


それでは、次は「旧九月八日」を再度練り直してみませう(・ω・)


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